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最高裁判所第二小法廷 昭和45年(あ)708号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由にあたらない。しかし、職権をもって調査すると、原判決は以下説示する理由により破棄を免れないものと認められる。

すなわち、原判決は、被告人に後方安全確認義務違反の過失があるとする本件公訴事実はその証明が十分でないという理由で無罪の言渡をした第一審判決を、事実誤認であるとして破棄し、みずから「被告人は自動車運転者であるところ、昭和四三年七月三〇日午後五時三〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、国道三九号線を、旭川市永山町一丁目方向から同市四条方面にむけ、時速約四〇キロメートルで直進中、同市永山町九丁目所在のT字型交差点の手前約三五メートル付近で自車左側を併進中の矢野進一(当時一八歳)運転の自転車を追い抜いたうえ、同交差点を左折進行しようとしたものであるが、同所付近は下り勾配となっているばかりでなく同交差点にいたるまでの間は他に交差点もないので、そのまま同交差点において左折するにおいては、左折時に前記矢野運転の自転車との衝突等不測の事態を惹起する危険が予測されるのであるから、かかる場合、自動車運転業務に従事する者としては、追従車の進行状況についての確認を厳にし、その通過をまってから左折する等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、漫然、これを怠り、途中時速を約二〇キロメートルに減じて進行した後、交差点手前約六メートル付近で、右矢野の自転車に一瞥をあたえただけで、すでに自車直後付近にまで近接している同車の進行状況に対する注視を全く欠いたまま、自車の方が先行して左折できるものと軽信し、そのまま同交差点を時速約一〇キロメートルで左折しようとした過失により、同交差点上において同車の動静に全く気付かないまま左後車輪で同人の頭部を轢過させるにいたり、よって右同人をして脳挫滅により即死せしめたものである。」との業務上過失致死の事実を認定判示し、被告人に対し有罪の言渡をした。そして、原判決は、第一審判決が認定した事実のうち、

1、被告車は、本件交差点手前側端から少くとも約六〇メートル手前の地点で自転車を追い抜き、約二九メートル手前の地点で左折の合図をし、十分に速度を減じ、約六メートル手前の付近で左後方サイドミラーで自転車が後方にいることを確認してから、ハンドルを左に切ったと認められること

2、被告車の前方には、その進行を妨げるような先行車がなく、左折合図をするまでは、とくに減速もしていないこと

3、被告車は、本件交差点を左折するにあたって、きわめて低速でしかも大回りしているのに、被害者が転倒した地点は、被告車の左側後部寄りであったこと

4、被告車が矢野を左側後輪で轢過した際には、ほとんど左折を終える状況にあったこと

の認定に誤りがあるとは認めがたいが、被告車の左折開始時「矢野の運転する自転車は被告人自動車の最後部から少なくとも二〇メートル以上後方にあった」との認定は事実誤認であり、被告車が左折を開始した当時における矢野の自転車の位置は、被告車とほぼ併進の状態であったか、ないしは、これにきわめて近距離で追従していたものと認めるのが相当である、とし、このような事実関係を前提として、本件における被告人の後方安全確認義務懈怠の過失の有無につき、「被告人には、後方の安全確認の注意義務を十分尽くさなかったとの過失があったといわざるを得ない。すなわち、被告人が左折開始直前に、バックミラーで左後方を確認した際、自転車は、これとほぼ併進の状態であるか、ないしはこれにきわめて近距離で接着して追従していたものであり、しかも、同所が約三度の下り勾配で、右自転車も相当の速度で、加速進行していたのであるから、そのまま同交差点を低速で左折するにおいては、右自転車との衝突等不測の事態を惹起する危険が容易に予測し得たものである。したがって、かかる場合、自動車運転業務に従事する者としては、追従車の進行状況についての確認を厳にし、その通過をまってから左折する等、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるといわなければならない。しかるに、被告人は、これを怠り、漫然とバックミラーで被害自転車を一瞥したに過ぎないため、同車の近接状態に気づかず、先に左折できるものと軽信して低速のまま左折を開始した過失により本件事故を惹起したものと認められる。」

との判断を示しているのである。

しかしながら、交差点で左折しようとする車両の運転者は、その時の道路および交通の状態その他の具体的状況に応じた適切な左折準備態勢に入ったのちは、特別な事情がないかぎり、後進車があっても、その運転者が交通法規を守り追突等の事故を回避するよう適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足り、それ以上に、あえて法規に違反し自車の左方を強引に突破しようとする車両のありうることまでも予想した上での周到な後方安全確認をなすべき注意義務はないものと解するのが相当であり、後進車が足踏自転車であってもこれを例外とすべき理由はない。

これを本件についてみると、原判決が判示した前記事実関係によれば、被告人は法に従い左折の合図をして左折を開始したもので、当時の道路および交通の状態等具体的な状況に応じた適切な左折準備態勢に入っていたことがうかがわれるのである。そうであるとすれば、被告人に過失があるとするためには本件当時とった措置よりもより周到な後方安全確認をなすべき注意義務を被告人に課するに足りる特別な事情の存在が前提となるものであるところ、原判決がその説示をすることなく、単に前摘示のような判示をしただけで、ただちに被告人に後方安全確認義務懈怠の過失を認めたのは、法令の解釈適用を誤り、ひいて審理を尽くさなかった違法があり、原判決を破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。

(なお、被告車が矢野の自転車を追い抜いた地点につき、原判決が一方では「交差点手前側端から少くとも約六〇メートル手前の地点」とする一審判決の認定を是認しながら、罪となるべき事実の摘示中に「交差点の手前約三五メートル付近」と判示しているのは、理由のくい違いであり、また、原判決判示の罪となるべき事実によれば、矢野は自転車で被告車の直後付近にまで近接したのち交差点において被告車の左後車輪で頭部を轢過されたことになるが、これだけでは「近接」と「頭部轢過」との因果関係が明らかでないから、刑訴法三三五条にいわゆる罪となるべき事実の判示として不十分であるといわなければならない。)

よって、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である札幌高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄)

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